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2012/11/12

精神分析学会第58回大会第2日目

 第2日目。と言っても、午前中は休んでいたので、午後からの参加。

 できるだけ毎年発表しようと心に決めて、この数年は毎回発表をしているのだけど、少しずつ発表するということに慣れてきた気はする。始めは演台を前にしてマイクを通して聞く自分の声が、いつもに比べてどこまでも拡散していくように響き、そのせいで思考過程までもが拡散していくように思えたけれども、今はもうそんなことはない。
 良い発表をしようとは思っていない。いつも通り考えられるように在ろうと思っている。
 発表の場でどれだけのことをしようとしても、いつも行っている努力や能力を超えることはできない。発表の場でできることは持っている能力を発揮することだけだし、能力を高める作業は普段の臨床と研究会と検討会とで行えば良いのだと思う。行ってきたことの自信と、一緒に考えてくれる人たちへの信頼と、大学で話をする経験とが発表の場で私でいられることを可能にしてくれていると思う。自信を持てないことは私の限界であり、それは発表の場で隠せるものでもないし、隠すものでもない。それはただ学べば良い。

 もちろんそれで発表がいつもうまくいくわけではないし、そもそも何を持ってうまくいくと言うのかも分からない。私が提示したい論点とは異なる部分への反応だって生まれるし、そこで何が生まれるかは私と聞く人とその集団の関数である以上、もしかしたら発表がうまくいかなかったのは聞いている人の問題であるのかも知れない。問題はそう簡単に切り分けることはできない。例えばそれは転移と逆転移の理解がそうであるように。
 臨床の場でβ要素であったものは発表の場でもβ要素のまま再生したいと思うけど、理解できない物語を投げ掛けられることで聞く人に抵抗が生まれるかも知れない。そうして生まれた拒否感と私の側で再生がうまくいかなかっただけの問題との区別をどうすればつけられるのだろう。あるいはβ要素ではないものを私がβ要素として記述しているのかも知れない。変数は数多くある。その中でどれが最も係数の大きなものとして作用しているのか、それをどうやって決定すれば良いのだろう。
 私が良い発表ができたかどうかをどうやって考えたら良いのだろう。

 おそらくその解はhere and nowにある。
 ある作用があって発表の場に聞く人の反応が現れるわけだけれども、その場が私の発表の場である以上、それをどう取り扱うかは場に生まれるものを取り扱う私の能力に依存する(もしかしたら司会の先生の能力にも依存するかも知れない)。とりもなおさず、それは心理療法過程において事態を取り扱う私の能力を明らかにするだろう。発表の正否が何によるかはそれほど簡単に決められるものではないように思うけれども、少なくともそうして発表の場は、事例の内容のみならず心理療法家としての私を明らかにする。
 私が良い発表をできたかどうかは、私が事態をどのように取り扱う心理療法家であるかの関数であるだろう。そこにはもちろん別の変数も関与しているけれども、それも含めて私がそれらをどう取り扱うかで聞く人に理解が生まれたり、そうでなかったりする。
 だからこそ私はいつでも普段の自分でありたい。別に素の自分を出したりはしない。そうではなくて、臨床の場でそうであるように、考える能力を保持してその場に臨むことができれば良いと思う。それはまた、臨床の場で起きたことを思い出しやすくするという点で、投げ掛けられた質問に答えることを容易にもしてくれる。上手な語りや、理解しやすい話は、むしろその後に付いてくる。そのように考えて発表の場に臨んできた。
 また来年、新しい気持ちで臨めたら良いと思う。

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