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2012/02/29

地域に受け入れられる過程

 今月もやっぱり忙しく、もう2月は終わりなのかというところだけど、地域の公民館に呼ばれて防犯に向けた講習会を行ってきた。そこで地域のつながりということを町内会長らしき人が語っていて、講習会後話をしたのだけど、ふと、地域の中に元受刑者が受け入れられるにはどうしたら良いのだろうと思って、そういえば精神病への偏見はどうやってなくなったのだろうと思って尋ねてみた。

 町内会長らしき人に聞いたところ、一昔前にあった精神病者や精神病院への偏見は分かっても、今それが問題にならないところとのつながりはよく分からないようだった。「精神病は大きな病院とかがあちこちにあるじゃないですか」というのがその答えだった。
 現在の精神科医療は脱施設化をはかり、地域の中で暮らすことを目指しているのだということを説明することは出来たし、簡単に触れはしたけれども、注目されるのはやはり、偏見や怖れから気にならなくなることとの間にある不連続で、一体何が起きたのだろうと思う。地域住民の水準において。

 これを考える時、案外、精神病院があちこちにあって、そこで面倒を見てくれる、という安心感というか、お任せします的な感覚は大事なのかも知れないなと思った。地域の中にという過程は見えないまま、あそこに収容されて何とかなっている、という感覚があるのかもしれない。
 もちろんうつの普通化ということもあるのだろうけど(その功罪は置いておいて)。

 司法の領域では更生保護法人がその役割を担うのだろうけど、それは大規模になることもなく、それほど専門性を持つわけでもなく、刑務所が収容施設であるとは言え、地域住民の安心感にはあまりつながらない。犯罪の普通化ということも期待できないし、期待するべきでもないだろうし、社会的包摂と言うけれども、彼らの犯罪性はどこがどうやって担保し、働き掛けることで、地域住民が包摂しうるのだろうということは、やっぱり正面からは論じられていないのだろうな、ということを改めて感じた会話だった。

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