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2011/11/20

精神分析学会第57回大会

 最終日を前にして今年の分析学会の感想など。毎度のことながら個人的な雑感です。

 この学会に来始めた頃はどの演題も魅力的に見えていたのだけど、さすがに今はどの演題も、ということはなく、また著名な先生であってもそれだけで魅力的に思えるわけではなく、自分の持っている方向性に合わせた選択をしながらの参加だった。ただ、今年はテーマが発達障害ということで、それに関する発表が例年よりも多く、心の次元性の話題であるとか不安と防衛の質の問題であるとかが議論されていたので、そうした発表を聞いてなるほど、と思うところは多かった。発達障害ということが明らかであったり、そうでなかったり、臨床的にはどちらも多いのだけど、精神分析や精神分析的な心理療法はその問題に対して、あるいはそうしたパーソナリティのどの部分について、豊かさや自由さをもたらすことができるのだろう。きっとそういうことが、最終日のシンポジウムでは語られるのだろう。

 毎回分析学会に参加して自分の課題を見つけることになるけれども、今年は投影の理解と解釈の言葉であった。これまで今一つ投影という現象の理解を掴みきれないところがあったのだけど、projectには「放り出す」という訳語をあてることもできることを知って、少し理解が深まった気がした。それは分裂排除とよばれるもののまた別の呼び方ではあるのだろうけど、here and nowで解釈をすることは必ずしもあなたと私と枠組みの中で理解することを指すのではなく、この空間のどこかに放り出された心の内容を取り上げることでもあるということが、私のいくらか硬直した思考に広がりを持たせてくれた気がする。
 その解釈にはいくつかの取り上げるべき側面があり、1つは不安や怒りといった情緒であるのだけれども、今回思ったのは、単にそうした情緒のあり方を取り上げるのではなく、その結果としての自己のありように関する解釈が必要な局面があって、それは特に情緒そのものに対する衝撃や怯えや恐れがある時だろうということだった。情緒的体験に対する情緒と言えば言えるのだろうけど、自己の状態として語る方がより具体的であり、その具体性は感覚的であることを意味している。情緒のより原初的な形態は感覚であり、それは崩れたり、壊れたり、なくなったり、ばらばらになったりする自己にまつわる感覚である。情緒とはそのまとまりが達成された後に体験される心的体験なのであって、心に起きている情緒への接触は怯えや恐れの原初的体験として自己にまつわる感覚として体験されている。それを取り上げる必要がある、ということを思ったのだ。
 「見捨てられる不安」よりも「見捨てられて自分がなくなる」ことであったり、「怒りを怖れる」ことよりも「怒りによって自分がばらばらになる」ということであったりする。それは情緒への情緒として語るよりもずっと具体的な水準であるが、逆に言えば、そうした情緒への情緒とはどこか知性化され、抽象化された体験であるように思える。その感触は私の臨床的介入にこれから影響を与えていくだろう(といっても、明日から、というほどに整理されたものとはなっていないのだけど)。

 学会場で見つけた書籍についての雑感はまた後ほど。

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コメント

分析学会お疲れ様でした。僕は3日目は参加せずにそのまま帰りませんでしたが、一般演題や研修セミナーなど色々と分析的な刺激を受けた大会でした。

ブログで書かれていた、情緒体験に対する情緒、情緒のより原初的な形態としての感覚についてなるほどと思った反面、それは解釈として言葉として伝えきれるものなのだろうかとも思いました。

投稿: ピュアリー | 2011/11/20 20:10

It's well known that money makes us independent. But what to do if someone has no cash? The one way is to get the loans or short term loan.

投稿: Lenore23Gonzales | 2011/12/08 19:16

>ピュアリーさん

 こんにちは。返事がすっかり(いつものことですが)遅くなってしまってすみません。今さらですが、読み直してみてこんなことを書いていたのかと思います。
 情緒も感覚も心のどの要素も言葉で十分に伝えきれるものではないでしょうが、言葉にはその音の連なりによって指し示されるところから連なる思考も情緒も感覚もありますので、それがかろうじて伝達や触れ合いを可能にしてくれるのだろうと思います。むしろ、問いの立て方が逆かも知れませんが、伝達が可能になるように言葉を選び、言葉にする要素を選ぶわけで、このエントリで挙げたのはそうした要素への注目の仕方についての私なりの気付きでした。
 学会から1ヶ月経ってすっかり忘れているあたり、何を学んでいるのか、と思いますけどね。

投稿: nocte | 2011/12/19 23:47

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