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2011/02/07

卒業論文を書く意味

 今日皆さんは卒業論文に関する全ての行事を終えました。1年間を通じて行なってきたゼミの活動、それぞれの研究、論文の執筆、まとめとしての発表、その全てが終わりました。おめでとうございます。ここに至るまでの道のりを見てきて、ここまで辿り着いたことを嬉しく思います。最後に私なりの卒業論文を書くことの意味についてお話して、皆さんに送る言葉としたいと思います。

 卒業論文を書くことの最も基本的な意味は、皆さんが今日まで学んできた心理学や臨床心理学の知識をより成熟させることにあります。
 皆さんが先行研究として調べた論文はどれも、皆さんより先にこの領域で学んだ先達たちの残した足跡です。みなさんはそれを受け取り、そこで捉えられていなかった点を検討すべき課題として見出し研究計画としました。これを行なうためには心理学や臨床心理学の知識をはじめ、人についての理解、日常生活で起こる人と人との交流や心の動きについての理解がなければなりません。先行研究を集めただけでは研究の目的は生まれてこないのです。
 研究の方法、その利点や欠点、特徴、それによって得られる結果、そこから言えることの理解がなければ研究計画も立てられません。研究計画を立て、方法を具体化し、実際に調査を行い、その整理をするということは、心理学や臨床心理学の研究法について学んできたことを自分の身体へと同化させることを意味しています。それは考察を書く際にも同様です。手足を動かし、頭を働かせて、これまでに学んできた研究に関する知識、心理学や臨床心理学の知見を研究の水準で使う、ということをしてきたのです。
 人によっては研究よりも実践の方がより実際的ではないかと思うかもしれません。それはそうでしょう。心理学は人を理解するための方法であり、臨床心理学は人を援助するための方法であるからです。けれども研究の過程を通じてみなさんは、そのために用いる知見がどのように生まれ、またどのように発展するかを知りました。また、それらについて論理的に考えるということも学びました。
 私には良く分からなかったし何も学んでいないと思う、と言う人もいるかもしれません。けれども1年前を思い出してください。1年前のあなたに今のあなたがしてきたようなことが出来たでしょうか。たとえ自分では気付いていないとしてもすでに心理学や臨床心理学のある部分は皆さんの身体へと同化されているのです。心理学や臨床心理学の知識はより成熟した形で皆さんの中に取り入れられています。
 それが卒業論文を書くことの1つ目の意味です。

 卒業論文を書くことのもう1つの意味は、次元を少し上げることで見えてきます。
 これまで皆さんは講義や実習、演習を通して心理学や臨床心理学について学んできました。講義を聞き、ノートを取り、レポートを書き、文献を調べ、討論を行い、発表をし、人によっては学外の実習に出た人もいるでしょう。時にそれは労力の大きな課題であり、取り組むことの困難な課題であったかもしれません。けれども、そこでは皆さんの学習が可能となるような環境としての管理、設定を私たちが行なってきました。小テストを行い、課題が出され、学期末試験を準備し、皆さんが何を知らなければならないかを私たちが準備してきました。
 けれども卒業論文で課されたことは、決められた枚数の論文を書くこと、それが心理学的な、あるいは臨床心理学的な領域のものであること、そして締め切りを守ること、という枠組みの大きなものでした。その中で何を研究し、どのような方法を取るかは皆さんに任されていました。もちろんゼミの教員はその指導を行い、必要な手助けを行なってきました。けれども何に関心を払い、どのような研究を作り上げるかは、皆さんが行なうべき作業であり、私たちがこれをしなさいとか、このことをやりなさいと言ったりはしませんでした。
 それは創造的な作業なのです。卒業論文を書く過程において、これまでに培ってきた知識を用い、あるいは培い損ねてきた知識を補いながら、外から与えられるものを吸収することではなく、自分の中から生み出されるものに取り組む作業を皆さんは行なってきました。それを意識していた人はいないのではないかと思いますが、けれどもそれはまぎれもなく皆さんの創造物なのです。人によっては満足の行くものであったかもしれません。人によってはあまりうまく行くものではなかったかもしれません。けれどもそれらは等しくあなたの中から生み出されたものであり、そして積み上げられた知識の上に現れた知性の働きでもあります。
 卒業論文を書くことの意味は、そうして知性を、創造性を自分のものとすることでもありました。

 さて、そうした過程は決して平坦な道のりではなかっただろうと思います。ゼミ担当の教員として指導を行い、見守ってきた私の目から見ても、苦労がたえず、身体的にも心理的にも疲弊している場面が何度もありました。中間発表のためのレジュメを何度も書き直しさせられて、人前で決められた時間の中で発表し、間違いのないように調査の準備を行い、他の学生の前で、あるいは学外の誰かの前で自らの研究を説明し、調査への協力を依頼し、得られたデータを徹夜で解析し、統計の方法が分からずに本を読み、それでもまた分析のやり直しをさせられ、結果の書き方、表の書き方の注意を受け、考察の論旨が分からないこと、論理が筋道だっていないことを指摘され、そうした指導をしてきたのは私なのですが、皆さんはそれに取り組んできました。
 それは決して平坦な道のりではなく、むしろ葛藤的なものであったでしょう。苦しかったり、嫌になったり、逆にハイテンションになったりしながら、みなさんは卒業論文を書いてきました。それが卒業論文を書くことの最後の、そして最も大きな意味だと私が考えていることなのです。
 先ほど、卒業論文を書くことは皆さんの中から生まれてくる創造的な活動であるということを言いました。それはこれまでに得た知識の上に立って行われる知性の働きを身体に同化することである、と。けれどもそれは簡単に成し遂げられるものではありません。産みの苦しみという言葉があるように、新しい何かが生まれる過程とは苦闘の過程でもあるのです。それは葛藤の産物でもあると言えます。そうした葛藤に直面した時にあなたはどうするか、そういうことが問われていました。思い返してみてください。いろいろなことが重なったこともあって旅に出た人もいました。ゼミの時間に遅刻してきたあげく発表の資料を作れなかった人もいました。不安が募って頭が回らなくなった人もいましたし、どうしたらよいか私に任せてしまおうと投げた人もいました。逆にきついきついと言いながら、間違いのないように時間をかけて取り組んだ人もいました。体当たりでぶつかってつらい思いをしながらそれでもあきらめずに研究を続けた人もいました。それぞれがどれも葛藤に直面した時にあなたが何をするか、のこの上ない指標なのです。
 私が皆さんに望むのは、そうした葛藤が生まれた時の、目の前に壁が立ちはだかった時の、自分の振る舞いについてそれぞれが知ること、そしてそれをこれから先、社会に出て行く時にも携えていくことなのです。皆さんの人生にはこれからもいくつもの波が押し寄せ、いくつもの分かれ道が訪れ、いくつもの困難が降り注ぐでしょう。その時に自分がどうすることになるのか、そこから逃げ出すのか、何か防衛的になるのか、取り組んでいこうとするのか、それはうまくいくのか、うまくいかないのか、そうしたことが問われることになります。そしてそれはすでに卒業研究に取り組む中に現れてきました。いつかまた、葛藤に出会った時に自分が何をするのか、それが自分の望むやり方なのか、そういうことを自らに問いかける日も来るでしょう。その時に、この1年間に自分が取った振る舞いから多くを学ぶことが出来ます。あるいはその前に自らの行き方を考えることが出来ます。葛藤に直面すること、その時に行なうこと、それについて知ること、それはどれもこれから先を生きる皆さんの糧となるでしょう。
 それらを社会に出て行く時に一緒に携えていくこと、それが卒業論文を書くこととして、私が思う最も大きな意味なのです。

 この時期になると私は毎年、1年間が終わっていくのだと、にぎやかな日々が通り過ぎていくのだということを強く実感します。みなさんはどうでしょう。もしかしたらまだ良く分からないかもしれません。もしかしたらそろそろ卒業という別れに向けて心が動いているかもしれません。いずれにしても、皆さんは1年間かけてここまで辿り着きました。どうにかこうにかしてこの日を迎えることが出来ました。
 傍で見ていた者として、皆さんを指導してきた教員として、この日を無事に迎えられ、そして終えられたことを嬉しく思います。そして皆さんと1年間過ごせたことを嬉しく思います。そろそろ別れの時間がやってきました。卒業までは後少し、時間がありますが、でもここでひとまずは一区切りです。皆さん、おめでとう。本当に良く頑張りました。

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