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2010/10/07

日本語のAAI

 最近、ずっと犯罪臨床に浸っていたけど、この数日間、人から頼まれたAAIをちまちまと評定している。ちまちまとって、本当はもっと前に頼まれていたのでちまちまやっている場合ではないのだけど。

 AAIのスコアリングはちゃんとやろうとすると逐語録を3回は読むことになる。
 初めはボトムアップの分析と呼ばれる分析を行なう。ボトムアップというのは、Ds、F、Eの分類を構成する語りの形式をコーディングして、スコアリングすることだ。けれどもその前に語りの内容についての分析がある。内容についての分析は、語りから推測される幼少期の愛着対象との経験を捉えるもので、拒絶、巻き込まれ(役割逆転)、無視、達成への圧力、といった養育者との関係をどの程度経験したと推測されるかをスコアする。あまり知られていないけれども、AAIにはこんなふうに語りの内容についての分析がある。けれども、それはあまり重視されない。
 良く知られているように、その代わりに語りの形式の方が重要視されている。語りの形式は逐語録を読んで、そこで話題になっていることがどのように取り扱われているか、言葉を変えれば、話題の中で愛着に関する記憶や情緒にどのように関わっているかを捉えようとしている。Dsの語りの形式は理想化、記憶の欠如、蔑視、喪失の恐れ、の4種類、Eは語りの受動性、巻き込む怒り、の2種類、Fについては、語りの一貫性とメタ認知の2種類でコーディングする。といっても、それぞれどういうことか分からないだろうけど。何にしてもこれがAAIにおける分析の中心的な観点となる。もちろんここにUについてのコーディングとスコアリングも含まれる。
 この2つは逐語録から拾い上げて、分類を行なうためボトムアップと言われる。

 ボトムアップ的にスコアリングがされると、今度はそれがどの愛着分類にあてはまるかを考える。Ds、F、Eにはそれぞれ下位分類があるけれども、まず大分類でどれにあてはまるか(Uがつく場合はUが大分類になるかそうでないかも含む)を考えて、その後で下位分類を考える。これをメインゲートから入る、と呼ぶのだけれども、確かにいきなり下位分類を考えようとすると大分類での間違いを犯しやすい気はする。例えばFの下位分類にはEに近いF5があるのだが、これがE1やE2という語りの上ではかなり隔たりのあるものと、どちらがあてはまるか迷いやすくなるのだ。それはF5にはE的なコーディングが入ってくるからだ。E的な部分が頭の中に印象的な部分として残っていると、ついFなのかEなのか分からなくなってしまう。
 けれども、まず大分類から考えると語りの中に部分的にF的なもの、E的なものがあるにせよ、全体としての一貫性はどうなのかということに注意を向けていることができる。したがって、FなのかEなのかを大きくはずすことがないのだ。もちろんちゃんとF5とE1やE2との区別がつけば良いのだけれども、そううまくは行かないことが多い。どうしても印象に残る箇所に左右されてしまいやすいく、メインゲートという考え方は、これを補う優れた方法だなと思う。

 そうして一度分類を決めると今度はトップダウンの分析と呼ばれる分析を行なう。トップダウンの分析は、選択した分類について、もしもこの逐語録がこの分類になるならばこういう特徴があるはず、と、定められた各分類の語りの特徴についてそれがあるかどうかを確認していく分析となる。ボトムアップがコーディングとスコアリングから分類を行なうのに対して、トップダウンは分類がまずあってそれにあるはずの特徴を探していく分析なのだ。これによってあるはずの特徴が確認されれば、そこで愛着分類が同定される。あるはずの特徴はボトムアップの語りの形式とは別に定められている。

 AAIによる愛着分類はこうした2方向の方法によって行われる。
 そして、経験、語りの形式というボトムアップの分析、およびトップダウンの分析の3つを、それぞれ独立に、できれば別の日に分析する、というのが正式なやり方とされる。そのため、少なくとも逐語録を3回読むことになるのだ。
 さらにその後、16ページにわたる要約シートへの書き込みがあり、これを行なうためにも再び逐語録に目を通さなければならない。そうして何度も逐語録を行ったり来たりする。本当に手間のかかる作業だと思う。

 信頼性の試験の時には、これを英語で行なっていた訳だけど、今人から頼まれているのは日本人のものなので、もちろん日本語による逐語録だ。初めは英語の感覚が残っていたので日本語で行なうことに違和感があったし、英語の感覚でコーディングを行なっていたことを日本語の感覚で行なうことに自信が持てなかったけれども、頼まれてからすぐに取り掛からずに寝かせていたおかげか(正当化する訳ではないのだけど)、それなりにコーディングを判断していくことができた。
 というよりも、初めに日本語の逐語録を見た時にうまくコーディングできる気がしなくて、手を着けられないでいたのだ。
 でも、改めて目を通してみると、何とか読めるものだなと思った。AAIをやっていると、コーディングに関わる箇所が他の箇所よりも目立って見えるようになり、逆に何か気になる感じがあるところには何かしらのコーディングがあてはまることに気付く。良くできたコーディングだと思うけど、コーディングに合わせた注意の向け方をするようにトレーニングの中で調整されるのかも知れない。それはどちらでも良いのだけど、とにかく、日本語でも英語と同じようにコーディングはできるようだった。

 そしてもちろん日本語であるおかげで、読むスピードも、理解の素直さも、格段に上がる。英語の逐語録はいくら英語を読めるとはいえ、どの言葉一つ取ってもそもそも自分が話している内容を正しく理解しているのか自信が持てない。例えば、否定形の質問にyesと言った時、それは肯定なのか否定なのか分からなくなるような感じだ。頭では否定形の質問にyesと言えば、それは質問を否定し、否定された文章を肯定していることになる。
 So, didn't you go there? に対して、Yes と答えると Yes, I went there. を意味する。でもちょっと迷う。そんな感じが逐語録を読んでいる間中続くのだ。
 日本語の逐語録を読んでいて、これくらいなら思っていたよりもAAIの分析はつらい作業ではないなと思った。わりとすらすらとコーディングできていく。大分類を考える時にもあまり迷うことがない。要約シートに必要なことを書き写し、説明や理由を記述していく時にも、逐語録を読み、ピックアップする部分を探し、書き写し、説明する、という作業が滞ることなくすらすらと行なえるのだ。これが英語であるとまず書き写そうと思っているところを文中から探し出すことに時間がかかる。ぱっと見た時に該当箇所を探し出す能力は、やはり日本語の方が早い。
 これくらいの速度で行なえるなら、AAIの分析も悪くはないなと思う。
 そして、言語の壁は大きいのだなと思う。

 何とか来週中に終わらせてしまいたい。

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コメント

こんばんは.ご無沙汰しております.

以下,感想混じりの質問です.

私は「語り」の形式的な側面に興味があって,「語りの構造」に注目している研究を読むことがあるのですが,読んでいる中では,とくに特別な手法を用いて分析しているようには見えないものが多いです.大きくまとめて質的研究は,研究者自身の観点から指標を作り,その指標を用いて分析し,その指標により他評定者との一致率を出すといった流れがある気がします.AAIはこうした研究のなかでは,語りの形式的側面の分析を重視するものとして引き合いに出されることはあるのですが,方法論を参考にしているといことは無さそうです.

私はAAIについて多くを知らないのですが,記事を読む限り,分析のためには複雑な作業をし,そのための訓練も行われることが窺えます.それはまた,語りを分析するというだけでなく,愛着分類を行うという目的ゆえに求められるものと思えます.けれども,それも語りの分析眼みたいなものに支えられているものとも思います.

たとえば,そうした分析眼みたいなものを身につけるのいよい方法などはありますでしょうか.

また,質的データを分析するといった時に,参考にした文献などはありますでしょうか.

あと,AAIは「語りの形式的側面の分析法」として,応用はききますでしょうか.

初歩的な質問が多いのですが,そんなところが気になりました.質的データを分析している研究には,方法論の部分で気になることが多いことも影響しているのかもしれません.

失礼します.

 

投稿: rhox2001 | 2010/11/06 19:54

>rhox2001さん

 こんにちは。お久しぶりです。
 回答が長くなりましたので、次のエントリにあげました。コメントがあればそちらの方でよろしくお願いします。

投稿: nocte | 2010/11/21 00:52

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