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2010/04/03

昔話と日本人

 前回のエントリで出かけた海外の研究者との話。その研究者はギリシャ出身の人だったのだけど、研修が終わった後、帰国の前にその研究者の家で話をしていた時に、神話や昔話と文化の話になった。

 その話を始めたのは向こうの研究者の方で、オデュッセウスがトロイの木馬によって戦争に勝ち、その後10年の放浪を経て妻のもとへと帰り、その間妻に言い寄ってきた男たちに勝って生き残る、といった話だった。オデュッセイアと呼ばれる神話というか物語というか、叙事詩の話だ。ギリシャ人は皆その話を知っており、それが彼らの一つのモデルになっている、という話だった。こうした話が出たのは愛着研究における測定法のある種のものには、narrativeと呼ばれる、物語あるいは語りの分析に依拠しているものがあるからで、そこからのつながりであるのだけれども、認知発達の実験心理学者であるその研究者が私たち(というのは臨床家、とりわけ精神分析的だとか分析心理学だとか)の持っているものと同じ発想を共有していることは新鮮な驚きだった。
 もちろん心理学者にだって神話や昔話になれ親しんでいる人はいるだろうし、文化の問題を考える時に広く伝承されてきた物語はその文化を理解する1つの枠組みにはなるわけだけど、それでもやはり実験心理学者にそれを語られると驚かずにはいられなかった。ちなみに私が精神分析的な心理療法を行なっていることをその研究者に伝えた時、その人はとてもショックを受けていた。"Oh my god"ぐらい言っていたと思う。だからなおさらなのだ。
 それでその話を聞いて、私の方は日本人はあまりそうやって戦わないと思う、という話をした。古事記にある国譲りでもそうなのだけど、戦って最後に生き残る、という物語を私たちはあまり持っていないのではないかと思っている。むしろ戦いながら相手も生きていて、最後は程々のところで手が打たれるのが日本の物語ではないだろうかと思うのだ。国譲りにおいて国を譲るのは出雲の大国主(オオクニヌシ)であるけれども、大国主の抵抗は大国主の息子の抵抗として描かれていて、大国主自身は戦わない。抵抗がかなわないとなると大国主は国を譲ることを受け入れる。日本最古の物語である竹取物語でも、かぐや姫が月に帰ろうとする時に帝は戦わない。帝の部下は戦うけれども、帝はその場にはおらず、遠く御所にとどまったままだ。軍勢を率いて先陣を切るような勇猛な物語が描かれるのは、国文学的にどのように理解されているか知らないけれども、平家物語だとかの武士の登場を待つ必要があったように思う。それが日本人の心性なのだと思う、という話をした(英語だったのでもっと簡単にしか言えなかったけど)。

 もちろんそれは雑談であるし、ギリシャの物語だってもっと違った筋書きを示すかもしれないし(ギリシャの神話に詳しいわけではないので)、そうじゃない、という意見だってあるだろうと思うけど、でも日本人があまり戦わないという理解は日本人を知る上では結構分かりやすい話なのではないかと思う。

 実際には、日本人も戦う。古事記はオデュッセイアと同様に歴史的事実を神話としてまとめたものだと考えられるけれども、国譲りとは言え、そこには戦争や合戦(という言葉が似つかわしいのか分からないけれども)を経たうえでの政権の委譲があっただろうし、もしかしたら大国主として描かれている旧政権の代表者は殺されているかもしれない。でもその事実がどうであれ、それを殺害として描かないところに日本人の空想の1つの型があるのだとは思うのだ。死は穢れであり、穢れを新しい国に持ち込まない。そうした物語の型は、国譲りよりももっと前の黄泉の国の話の中に明確に描かれていて、私たちは多分、取り扱いにくいものを取り扱うために、それに打ち勝つことではなく、むしろそれを私たちを圧倒するものとして怖れつつ憎み、したがって私たちがそれを穢し、どこかに閉じこめておこうとすることを選択しているのではないかと思う。そっとしておく、とか、おいておく、とかいう時に得られる平安は、その裏に閉じこめられた畏れや穢れを隠していて、その分裂の狭間に中空理論の生まれる余地があるのだろうと思うのだ。
 別にどちらが良いとか優れているとか言うつもりはない。確かに打ち勝つモデルの方がずっと能動的で、強く、実際に欧米(とギリシャを同じに語って良いのか分からないけど)はいろいろな面で世界を支配している。でもその一方で日本もまた、資源もなく、国土もなく、受け身的で主張性がないわりには先進国としてなんとかやっている。それはそれで日本という国が持っている1つの才能なのだろうと思うし、そこに戦わないという姿勢がもたらす1つの恩恵があるのではないかと思ったりする。そういう点では日本という国はとても特殊だし、その特殊性を他の国に伝えていけるのではないかとも思う。

 何にしても、そんなふうに神話や古い物語は今でも私たちを理解する1つの方法として読み解かれるし、それだけのことを試みる価値のあるものだと思う。それは心理学という枠組みを超えるだろうし、だからこそ私たちはそんな話ができたのだ。いずれどこかで神話や物語についてちゃんと書こうと思う、と改めて感じた出来事だった。

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