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2010/02/13

中間処遇ということ

 2月も半ばにさしかかり、とっくに1月は終わってしまったけれども、当初予定していたスケジュールではやはりNPO法人の申請には辿り着かなかった。それはそうだろうと思うようなまとまり具合であったので、無理に間に合わせるよりは自分たちが目指しているところが何なのか、きちんと共有できるようになることの方がこれからのためには重要であると思う。

 私達がやろうとしていることは、一言で言えば「中間処遇」とか「社会内処遇」と言われるものだ。以前にも書いたことがあるが、今の刑務所のシステムでは塀の中と外とは分裂しており、塀の中で学んだことは外にまで持ち出されず、塀の外の世界は希望として塀の内側へと入ってくることもない。出所を間近に控えれば、さすがに外の世界を意識して過ごすようになるけれども、その時点で自分の問題に向き合うのは遅すぎる。
 刑務所のシステムはうちと外とをつなげたものとなる必要がある。おそらくそのイメージを最も分かりやすい形で表現するのは、精神科における入院と退院、そしてデイ・ケアと通院によるその橋渡しだろう。入院中のさまざまな治療と退院後の社会における生活、あるいは社会復帰と呼ばれる状態への移行は、通院とデイ・ケアの存在によってつながれている。環境に恵まれ、状態が望ましい人であれば、そうした治療の形は必要にならないだろう。退院がそのまま社会復帰を意味していく。しかし、多くの人にとってはそうではない。リハビリテーションとしての職場復帰の訓練、就労支援、生活支援、対人関係の問題への対応、薬の服用や病気との付き合い方の学習、そういった援助が必要とされている。

 受刑者において必要なのもそういった「移行」の空間である。
 もちろんそれは比喩的な表現であり、実際には「施設内処遇」と呼ばれるものから「社会内処遇」への移行、さらにその先の「社会復帰」への移行が求められるということになる。

 刑務所は、平成17年の監獄法の改正、および刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の制定によって、その改善指導の様相を大きく変えた。それまでに行われていた日常の生活指導等に加え、特定の犯罪を行なった者等への特別改善指導が行われるようになった。そこには薬物離脱のための指導や暴力団からの離脱のための指導、被害者の立場を考える指導、性犯罪者への指導などが含まれている。こうした指導にはそれまでの教育部門における教育や指導だけではなく、より専門的な知識を有した民間人の活用がなされ、そうして臨床心理士も刑務所の中へと足を踏み入れた。
 しかし、こうした施設内での処遇は、それを引き継ぐ先もないまま、出所とともに終わる。あるいは、出所の前にこうした処遇は終わるように進められる。どの指導においても心理教育的な接近がなされてはいるものの、外界の刺激から隔絶されたその中で得られる成果は、もしあったとしても現実的ではない。それをどのように活かし、どのように改善の努力を続けるか(あるいは続けさせるか)は、出所後の現実生活の中でこそ行われる必要がある。今の刑務所のシステムは、病院から退院した患者に通院の手段を与えていないようなものなのである。
 唯一その手段となり、通院とデイ・ケアの役割を果たすのは、更生保護施設と呼ばれる施設である。ここでは引受人のいない出所者、あるいは仮釈放の者などに一時的な宿泊場を提供し、あるいはまた相談の機会を提供し、就労支援活動も行なっている。それは身寄りのない者にとって、あるいは社会で一人で生活するには不安がある者にとって、ほとんど唯一の頼れる場所となっている。けれども、この施設での宿泊は6ヶ月であり、それを超えてここにとどまることはできない。出所者の中には抱えた障害(身体的とか発達的とか精神的とかいう意味での障害)、問題によってそれから後の福祉的な支援を必要とする者がいるが、その支援も行なえない。それがどのような理由によるかは別にしても。更生保護施設では刑務所内における特別改善指導と同様の指導を行なうことができるが、それもまた限られた日数であり、限られたプログラムに則ってのことである。所内の処遇と出所後の処遇が何らかの連続性を持っているわけでもない。

 こうして刑務所から社会への移行は断絶している。

 私達が行なおうとしているのは、こうした領域における橋渡しであり、それは主に福祉的な支援であり、同時に臨床心理学的な支援である。薬物の使用による精神障害、性犯罪者における心理的障害(と呼ぶことがもっともふさわしいかは分からないけれども)、犯罪の背後にある発達障害、対人関係や家族との問題、そうしたことへの継続的な支援を行なうことを私達は目指している。そのうち宿泊場も提供できれば良いと思うが、長期間の支援を考えた時に、その準備は慎重にならざるを得ない。それはおそらくもっと後の話となるだろう。それでも、このようにして矯正施設と社会復帰との間に「社会内処遇」の場を作り、2つの分裂した世界の移行を促したいと思っている。それは精神科における通院とデイ・ケアの機能を有するものであって欲しいし、その例えがどこまで有効であるかは分からないけれども、ひとまずはそれで行けるところまで進んでみたいと思っているのである。
 私個人としては、そこがまた、犯罪者とその更生に関する研究の場になれば良いと思う。臨床心理学的な研究とは、実験室の中にではなく、第一義的にはこうした実践の中に置かれるものだと思っているし、その蓄積によって実践がより実践的になっていくことを期待されるものだと思っている。手探りで進めている犯罪者の改善・更生について、別にエビデンスに基づかなくて良いのだけれども、社会にも犯罪者にも益するところのある知見が蓄積されたら良いと思う。もちろんもっと個人的には、精神分析的な接近を試みたいが、それがどの程度実際的であるのかは分からない。今のところの感触としては、ある種の人たちにはむしろ欠くことのできない方法論であると思っているけれども、それを共有できる人は今の矯正の場には少ない。
 いずれにしても近く、次の会合が開かれるだろうと思う。その時には、初年度、および次年度の活動計画も作成されるだろう。それが終われば書類の提出は目前となる。ほぼ1年遅れの進行になってはいるが、犯罪が繰り返されないために、精神の歪み(と言うことが最もふさわしい表現なのかは分からないが)がいつまでも続かないように、そうして社会に少しでも安全がもたらされるように、私達は次へと進んでいきたいと思う。

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