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2008/12/31

週刊クライン vol.1

 どこまで本気なのか分からない個人的企画だけれども、とにかくKleinを読んでいくことにした。手元にあるクライン著作集は、ちょうど年代順に論文が並んでいるようなので、Kleinの発想を追っていくにはちょうど良いと思う。こういうのって、年代順がいいのか、主題別がいいのか、私には判断がつかないけど、そのうち両方の観点で語れるようになる必要が出てくるんだろうな。というわけで、最初の論文は第1巻、第1章、第1節の「性教育と権威の弱まりの子どもの知的発達に及ぼす影響(The influence of sexual enlightenment and relaxation of authority on the intelectual[注:著作集ではこの綴り。intellectualか?] development of children)」。私の理解に誤りがあっても、責任は持てませんので、あしからず。

 2回読んで、何となく何を言おうとしているかが分かったのだけど、この頃はまだもちろん妄想分裂ポジションという概念は現れていない頃で、精神分析の目標は抑圧をできるだけ最小限にすること、という古典的な理解に基づいて、子どもの教育、特に性的知識の獲得とそれによる思考の抑圧の回避について述べているようだ。近所の親戚のフリッツと呼ばれる子どもの話を書いて、子どもは生や出産への好奇心を持ち、それについて正しい知識を教えることで1つには万能感を脱して現実を知り、それとともに親の権威というものが弱まってきて自由に自分の考えを広げることが出来る、と言っているように思える。

 ここにはもちろん、Freudの「性欲論三篇」に見られるような子どもの幼児的な性知識というものが認められており、しかしそれがコウノトリが赤ちゃんを運んでくるというような魔術的で空想的な言葉で語られるのではなく、母親から赤ちゃんは産まれ、その前に母親のお腹の中に赤ちゃんはいるという事実を知らされることで、在と不在、言い換えると「精神現象の二原則に関する定式」で述べられているような、現実と非現実の区別がつくようになる、とKleinは言う。本文の中にはサンタクロースはいないとか、神様はいないとか、赤ちゃんはコウノトリが運んでこない、とか、そこまで小さな子どもに言わなくても、と思うような現実の提示がなされている。それはフリッツの母親によって行われているものだが、母親はKleinの言うことを何でも聞く、と最初に書かれていたので(その関係もどうかとは思う。特にこの論文では権威への服従とか思考の自由とかが扱われているわけだし)、実質的にはKleinの考えによるものなのだろう。
 初めフリッツはその考えを飲み込めなかったが(したがって何度も同じ質問をした)、やがて存在していることと存在していないこと、昨日今日明日という時間の流れ(という無くなった時間、今ある時間、これから生まれる時間という時間の存在性・現実性)について受け入れはじめ、それは両親が神の存在について違う考えを持っている(母親は無神論者、父親は汎神論者)ということに気付いたことを境に、むしろ自ら主体的に飲み込めるようになっていく。
 現実の現実性への気付きは初め、具体的な「目に見えるもの」の実在を認めることから始まり、やがてそれに照らし合わせながら「考えることの出来るもの」の実在への変形をたどっていく。そこには幼児期の万能感、およびそれを支える快感原則の弱まりが見られるが、これを可能にし、またその快感原則に拮抗する、現実原則を導入するものは、子どもの知識欲、好奇心であると言う。子どものこの知識欲求は、無意識的には出産についての父親の役割への疑問が底在しているようだともKleinは示唆し(その根拠は私にはよく理解できなかった)、知ろうとする欲求が快感原則に乗っ取って万能的に知らないままでいることを不可能にしていく。
 この過程には当然現実と万能感の間の葛藤があり、このことが、現実性、つまり親も自分も万能ではないということを認めることについてのアンビヴァレンスを生み出すことになるともKleinは言う。

 性について知ること、それとともに親や自分自身についての万能感が減少し現実の現実性を受け入れるようになること、それがなされない時には思考の方向、あるいは質についての抑圧が生じてくるとKelinは言うのだが、この時彼女はFerencziの考えに倣って論を展開させている。

 こうした話をしながらKleinは同時に、神がいないことについても語っており、宗教とは幼児の万能感を引き継ぐものであり、思考の過程を、あるいはそれによって辿り着くことの出来るものを、抑圧することにつながる、と主張する。また、そのことは子どもが自らの考えにおいて自由になるというのとは逆の、権威への服従をもたらす危険性があると批判する。子どもから見て親が正しくは見えないところに質問という形での子どもによる親への攻撃が加えられるが、そこに超自然的な説明が付与されることで、生得的な権威への欲求と万能感が思考の危機が強められる。宗教というものが果たして本当にそういうものなのかはともかく、Freudの発想を引き継いでKleinはそう考えていたようだ(後でそれが何か変化するかは知らない)。
 したがって、両親の間に神の存在について相違がある、ということに気付かれた時、フリッツは自らの選択として神の不在を受け入れ、世界の現実性を飲み込むことが出来たと理解できるのかもしれない。それは抑圧を求めるものでもなく、また服従を求めるものでもない。万能感を支持するものでもなく、また万能感の早急な放棄を求めるものでもない。そのようにしてフリッツは自らの自由な思考のもとに、そしてそれが現実に根ざしたところで、神の不在、現実と非現実について受け入れられたのかもしれない(実際のところ、なぜ両親の間に神の実在性について相違があることが山場となったのかは明確には書かれていないので分からない。少なくとも私には)。

 現実を知ること、その逆の現実性の抑圧と万能感の維持または回復、という主題は、現在でもKlein派、あるいは対象関係論に底在する「精神分析とは自分を知ることである」という目標に直接に関わるところであり、その教育に際して一切のごまかしを必要としない態度は無意識的空想が現れたその瞬間に深いと思える解釈でも行うという彼女らの態度に共通するところでもある。最初期の論文からこうした部分は共通しており、それがなされるために性について知ることが強調される辺り、Freudの考えをKleinが重視していることが分かる。性教育というものが行われているが、精神分析的な見地に立てば、それはごく小さい子どもの好奇心に合わせて教えれば良いのであって、後の年代で行う必要はない、とKelinはこの論文を始めている。
 他方、抑圧が心的機制、防衛機制の中心的な要素となっているところは後から変更されることになるところなのだろう。もちろん人生最初期の心的世界の記述はまだなされておらず、Freudがエディプス・コンプレックスの生じるとした年代よりも少し前の子どもの姿が描かれている。それでもここに、質問という形での子どもの攻撃性が記述されているところがKleinらしく、楽天性を万能感の現れであると言い、そこに死の願望が隠されていることを読み取るところがあるのだが、そうしたところにKleinのKleinらしさが感じられる(それが支持しうるものかどうかは私には今でもよく分からない)。

 といったところで、いつまで続くのか分からない個人的企画のvol.1はこの辺でおしまい。やっぱり実証論文を読むのとは違って、精神分析の論文を読むのは難しい。部分部分で連想が広がるのだけど、論文の主題を追いかけていくのが結構大変で、それは書いている本人もわりと思うままに筆を勧めているからではないかと思うのだ。何度か読めば理解は出来ても、決して一本の筋にはなっていない。むしろ枝葉が広がっていて、その枝葉に止まってさえずる鳥が、あるいはそのさえずりが、多分後の論文であり、その元となる発想であり、読んでいる最中に浮かんでくる連想なのだろう。
 性と万能感と現実なんてそんなにすぐ頭の中で結びつくものではないもの、と不平の1つも言いたくなる。

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コメント

企画、楽しみです。私も分析を勉強しなければいけないと思っているのですが、断片的な知識を学んだだけでも、どうもクライニアンにはなれない気がします。そんなに厳しくできないです。

大学時代は(もう10年近く前になりますが)AAIに興味を持って、卒論ではAAIもどきで調査をしたので、何だか親近感を持ちました。今後も期待しています!

投稿: kyao | 2009/02/05 16:10

こんにちは。初めてここを知りました。
私も分析を勉強しなければならない立場にあるのですが、どうも怠ける癖があるため、こういった企画は論文を読んだつもりになれて、助かります( ̄ー ̄)ニヤリ

でも断片的な知識を学んでも、クラインの考え方にはついていけない感じがあります。クライニアンはやっぱり輸入っぽさ、日本人の文化的背景とはずれてる感じがします。クラインだけではないかもしれないですが。

かれこれもう10年近く前になる卒論ではAAIもどきのインタビューで面接調査をしたので、何となく親近感があります。今は遠くなってしまいましたが・・・

これからも期待しています!

投稿: kyao | 2009/02/05 16:14

すみません、スパムのなんとか、のために、1回目が書き込まれてないと思って、同じような内容を2回送信してしまいました。お許し下さい。

投稿: kyao | 2009/02/05 16:15

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