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2008/06/02

街中でクライエントに会う

 ずっと昔に会っていたクライエントに街中でばったり会った。何となく目がいって、お互いに振り返りながらすれ違って振り向いてやっと相手が誰かを認識するといったふうだった。挨拶をして、少しだけ言葉を交わして、そのまま別れた。

 そんな話をたまたま会う機会のあったかつてのスーパーバイザーにしてみたら、そういう時には基本的には挨拶をしない、ということを言われた。どうしてかを聞くことが出来なかったのが残念なのだけど、多分私たちは内的世界の対象として面接室の中で出会う存在なので、現実の世界での接触はその境界を越えてしまう、ということなのだろうと思う。実際そのクライエントにもいろいろな感情や思いが去来したのはその表情から分かったし、私の心の中にもいろいろな思いが浮かんでは消えた。それは全て一瞬の出来事だったのだけど、もしかしたらそれが情緒的な混乱につながることだってなくはないだろうと思う。面接室の中ではいろいろなことが起きているんだな、と、こういうことがあると強く思う。
 でも、そのスーパーバイザー自身も病院の近くのスーパーなどで患者さんに出会うことがあったという話もあって、生活空間と職場とが近い時、あるいは近くの繁華街というかその地域や地方の中心部にでかける時には、患者さんやクライエントにばったり会ってしまうということはありえないことではないだろうと思う。そんな時どうすれば良いのかを、ある程度考えておいた方がいいのかもしれない、とこの出来事を通して考えた。いろいろな出会い方、あるいはその通過の仕方がありうると思うけれども、何のために面接をしていて、そこでは何を大事にしていて、それと一貫した方法として街中であった時にはどうするかを考えるというのが、一番適切な答えの出し方のように思う。少なくとも挨拶をしないという選択は、おそらく内的対象関係を扱うという面接の方法と切り離して考えることは出来ないと思う。
 そんなふうに面接での会い方と街中での会い方に、筋を通して、一貫性を与えることは重要なのではないかと思うのだけど、まだ経験の足りない私に思いつくのはそれくらいのことだな、とももう一方で思う。

 みなさんは街中でクライエントや患者さんに出会うことはありますか。もし自分はこんなふうにしている、あるいはこんなことがあったということがあれば、是非教えてください。

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コメント

こんにちは。久しぶりにこちらを覗かせてもらったら記事が増えていて楽しませてもらいました。

僕は目が合えば軽く挨拶しますね。そこで話し込んだりするということはないですが、挨拶をしなかったり、無視したりするということもないです。でも、確かに、日本で精神分析の勉強しているときには、こういう場合は面接内での世界と現実の世界との境界を守るために挨拶はしないみたいなことをその時の講師は言っていました。

以前、僕も同じような疑問を持って、今自分が所属してトレーニングを受けている学派の分析家らに聞いたことがあったのですが、彼らは会えば軽く挨拶すると言っていましたね。実際、自分も過去に自分の訓練分析家に外であったことがあったのですが、お互い軽く挨拶しました。

投稿: DT | 2008/06/07 22:36

>DTさん

 こんにちは。コメントありがとうございます。
 DTさんは挨拶はするけど、話し込みはしないということですね。この場合の挨拶は会釈ぐらいということでしょうか。よく海外の映画で日本を描写するのに、お辞儀を使いますが、アメリカでも会釈というのはあるのだろうかとか考えてしまいました。

 確かに挨拶もしないというのも1つの方法ではありますが、それはそれで相手にいろいろなことを思わせそうですし、現在面接が進行中であればそれもまた取り扱えるのかもしれませんが、終結なり中断なりした後ではそうもいきませんからね。

 考えさせられます。

投稿: nocte | 2008/06/08 22:58

アメリカ人は会釈はしませんが、笑顔を交し合ったり軽く手を振ったりすることで軽い挨拶をしていますね。距離によっては"Hi"や"How are you?"ぐらいの言葉かけをしますが。ちなみに僕はその時、会釈をしました。向こうも僕が日本人で会釈やお辞儀をすることを知っているので。ごくごく自然な感じでの挨拶でしたね。

セッション外でのコンタクトに関しては、アナリザンドに聞いてみるといいかもしませんね。そういう場面では自分がどうしたらいいかと。勿論、それに従う必要はないですがいいヒントがもらえるかもしれません。

投稿: DT | 2008/06/09 03:33

クライエントの立場の者になりますが、街中でセラピストの先生にばったりお会いした事があります。もう10年以上前の事ですが、1年ほど続けた精神療法の中断後、医療機関の近くで偶然お会いしました。極上の笑顔で明るくフツーに「やあ、お元気ですか」と挨拶され、こちらは、その鮮やかな再会に驚きつつ、「はあ、まあその」等、しどろもどろでご挨拶したのを覚えています。情緒的な混乱があったかは今となっては忘れてしまいましたがなんとなく突出した記憶として忘れがたいです。(その数年後、結局治療を再開して8年位お世話になりましたが、この間も、面接迄の時間潰しに入ったカフェでばったり遭遇し、何故だか慌てて本を読むふりをして先方に気がつかれないようにした、など、今となっては懐かしい思い出もあります)。現在は終結して、その街に足を運ぶ事も無いのですが、拝見していて、いろいろ懐かしく思いだしてしまったので書かせていただきました。

投稿: 通りすがり | 2008/08/29 15:23

>通りすがりさん


 コメントありがとうございます。心理療法をしていると、いろいろな思いになりますし、それは終わった後からでも続くものですね。心理療法の中や後で思ったこと、感じたことの意味や重要性が分からなくても、後から思い出してクライエントの支えになるような、そうした関わりをしたいと通りすがりさんのコメントを読んでいて思いました。どうもありがとうございます。

投稿: nocte | 2008/08/31 22:47

河合隼雄の何かの本で読んだのですが、街中でクライエントにあったときにカウンセラー側から声をかけない理由は、クライエント側がカウンセラーにあいたくないことや、周りの人から「あの人、誰?」というようにカウンセリングにいっていることを知られるという事態を避けるためだそうです。ですので、基本は相手の出方をうかがいそれに応じる形を取るというようなことが書いてあった気がします。もちろん、中にはお茶でも、というように話をしたい人もいることと思いますが、多重関係はまずいですよね。APAの倫理要綱にはOnce a patient, Forever a patient というようなことが書かれているそうです。 アメリカでは、カウンセリングが終結した後のクライエントとの関係はいろいろ議論がなされているそうですが日本はその点があいまいだととある教授さんは嘆いてらっしゃいました。実際の体験ではないですが、思うことがありましたので書かさせていただきました。

投稿: 通りすがりの学生 | 2012/05/06 17:29

>通りすがりの学生さん


 初めまして。コメントありがとうございます。
 私は個人的には心理療法が終了した後は関わりを持たないことを基本的な方針としていますが、それにしても街中でばったりと会うことがあると、どう対応するべきかなと思ったりしていました。
 最近は、でも、あまりこういうことを意識しなくなりました。経験が教えるところによるのだと思いますが、その人とどう接するかは普段の面接の延長線上にあって、会ったら会ったで、それまでの経過とその時の状況に合わせた態度が自然と出てくるように思うからです。もちろん、面接とは違う顔をしている場面でばったり会ってしまったら、気まずいし、驚くし、不快にさえ感じるかも知れませんが、それはそれでお互いの現実ではありますので、その現実を心がどう処理するのかという問題として考えられるのだろうと思っています。心理療法が続いていれば、その中で取り扱われることですし、心理療法が終わっていれば、それはもうクライエントの責任で取り扱うべきことだと思うのです。終わる、ということはそういうことでもあると思うからです。
 そういうわけで、このエントリを書いた4年前に比べると、今はずっと力を抜いていられるようになりました。

投稿: nocte | 2012/05/17 01:42

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