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2008/03/22

Peter Fonagyについて(2)

 前々回のエントリから時間が経ってしまったけれども、Fonagyのセミナーが来週に迫っているので、続きをあげていく。

 前回はFonagyとは誰かという話を書いたが、私の知る限り現在のMBT(Mentalization Based Treatment)につながる彼の関心は90年代初頭の国際精神分析誌に載った論文あたりから始まっている。確か攻撃性と心理的自己のような題名の論文だったと思うが、そのあたりはうろ覚え。この中に後のreflective functionないしはmentalization(Fonagyはイギリスの人なのでmentalisationだったりもする)につながる記述が見られる。これらに関する初期の研究はCassidy & Shaver (1999)のHandbook of attachment、あるいはGoldberg, Muir, & Kerr (1995)のAttachment theoryにまとまっている。かなりおおざっぱにこれらを要約すると以下の通り。

 reflective functionとは他者を心的存在として捉える個人の能力で、他者がとった行動、示す態度や情緒を目に見える通りに理解するのではなく、それとは異なる内的状態がありうることを理解できる能力のこと。例えば誰かが怒っている時に、怒っているという行動面についての理解だけではなく、何か訴えていることがあること、あるいは内的には悲しんだり傷ついたりしている面もあること、について思いをはせることができる時、そこにreflective functionが働いているということができる。キーワードはintention(精神分析学会の教育研修セミナーではこれを「志向性」と訳していたように思うが、もっと心的な概念としての「意図」ないしは「意思」の方が適切であるように思う)。他者の意図、願い、感情、信念、ふり、などについて理解できることで、他者の行動は意味あるものとなり、また予測可能なものとなる。
 Fonagyによるreflective functionの使用は2つの領域での展開を示している。1つは母子関係、ないしは養育者−乳幼児関係、もう1つは境界例(繰り返しになるがこの境界例はいわゆる境界性人格構造を指す)。前者においては、母親のreflective functionが子どもの側のreflective functionの発達をもたらすという話。子どもが泣いている時に、泣いているという事実だけではなく、そこに空腹やおしめの中の不快感を読み取る母親の能力が、子どもに自分の状態を心的な状態として映し返す(reflect)ことを可能とし、そうして母親から映し返された心的存在としての自分を取り入れることで子どもは自分で自分の心的状態を知る内省する(reflect)力を発達させる。こうした母親(もちろんここでの母親は主要な養育者を代表させている)からのreflectionがない、または不適切で間違っている時に子どもはreflective functionの障害を抱え、境界例という病理の背後にはこの障害が横たわっているという。
 先に紹介した2冊の本のうちAttachment theoryの方で、Fonagyはこれを支持する研究を報告しているが、その話に進む前にreflective function概念そのものは他の2つの概念と重なり合っていることについて。1つはBionのβ機能、もう1つはMainのメタ認知能力。前者は精神分析の概念、後者は愛着理論の文脈における限定された概念。彼のreflective function概念がそれらとの比較において注目されるのは、AAIにおいてこれを測定することが可能であるという点である。β機能はもちろん数量化されない。Mainのメタ認知能力はAAIのマニュアルに記述があるものの、その脚注においてより発展した形としてこのreflective functionが紹介されている。そのため、メタ認知能力の尺度はこれから精緻化される見込みは薄いのではないかと個人的には思っている。いずれにしても、精神分析の世界においても愛着理論の世界においても、心を心として理解する能力はほとんど測定されない。そこにFonagyの第一の貢献がある。AAIにおけるreflective function尺度の基準はAttachment theoryの方に記載がある。これに基づいて行われた実証研究において、出生前の母親のreflective functionが子どものsecurityを予測すること、reflective functionは世代間伝達の途切れを説明するが、それは特にhigh riskな家庭におけるsecurityの低さを緩和する形で働くこと(逆に言えば発達的なリスクの少ない家庭ではreflective functionの作用はそれほど大きくない)、また境界例(この場合は診断名としての境界例か?)患者において外傷的出来事とreflective functionの低さの組み合わせがその病理を説明すること(統計になじみのない方へ:「予測する」「説明する」という表現は特定の文脈で特定の検定を行った時に使われる言葉で、大ざっぱには「関連する」という言葉に置き換えてもらって構いません)、治療によってreflective functionの改善が見られること、などが示されている。
 Handbook of attachmentの方では精神分析と愛着理論の接点や相違点が様々な理論的との比較を通じて描かれているが、最終的にFonagyが提示するモデルが、reflective functionを中心としたもの。この章が拡大されたものが前回紹介したAttachment theory and psychoanalysis(愛着理論と精神分析)。この書の中で彼は安全な愛着関係こそがreflective functionを発達させるのに必須の文脈であることを強調し、さらにこれをWinnicottやKohutのmirroringと対比させている。他方で、安全な愛着関係と最も近い概念化を行った精神分析家として彼はしばしばEriksonをあげている。いずれにしても、母親からの映し返しを通じて乳幼児な自己の状態に気付き、自己を心的存在として認識し、またその際の安全な感覚によって苦痛な情緒の制御が可能となっていくことを強調している。この点は後にMBTの中核的な理論的背景となっていく。それについてはまた次に述べるが、ともかく、この段階でFonagyはreflective function概念をmentalization概念に置き換えていく。reflective functionは前述のように個人の能力でありながらしだいにAAIにおいて評定されるその能力の程度を示す具体的な変数として扱われるようになり、代わってmentalizationがより抽象的な個人の能力を指す言葉として用いられるようになるのである。おおまかに言えば両者に違いはない。mentalizationの変数名をreflective functionと思ってもそれほど間違いではない。知能という概念とIQという数字の関係と似ていなくもない(おそらく)。

 以上が愛着理論と精神分析の狭間でFonagyが行ってきた探索の第一段階。

 というところで今回も力尽きたので、続きはまた後ほど。

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コメント

>reflective functionとは他者を心的存在として捉える個人の能力で

『能力』というところが、なかなか興味深いと思いました。心とか人格というと、僕の印象ですが、成熟してしまえば大きく変わるようなことはないのだと感じますが、『能力』というと、何か違った見方ができるなと思いました。

……・……・……・……・……・……・……・……・

どうでもいいことなんですが、(1)の動画でAaron Beckが生きている人なんだと初めて知りました。講義で紹介された人は基本的に過去の人なんだと思っていました…。

投稿: rhox2001 | 2008/03/23 19:14

>rhox2001さん

 私にしてはめずらしく返事が早いのですが、この場合の「能力」ないしは「機能」は、それでも発達的に早期に獲得され、さらに漸進的にその変化のしやすさが減少するような種類の能力ではないかと、Fonagyはそう想定しているのではないかと思います。

 その一方で不変的なものとは捉えていないのは間違いなく、その成長、ないしは(再)獲得に焦点を当てるのがMBTなわけです。それはある部分ではmindfulnessと重なるところがあるのだろうと思うのですが、私がmindfulnessについてはよく知らないのでその辺は何とも。

投稿: nocte | 2008/03/23 23:57

なるほど。漸近線のようなものを思い浮かべました。確かにそういう捉え方のほうが自然ですね。

……・……・……・……・……・……・……・……・……・
mindfulnessって何だろうと思って調べましたら、臨床心理学徒生態誌さんのところで少し触れられてました。CBTで用いられている概念なんですね。他所ではマインドフルネス瞑想とか紹介されてたり。

wikiには
>Mindfulness is a core exercise used in dialectical behavior therapy, a psychosocial treatment Marsha M. Linehan developed for treating people with Borderline Personality Disorder.
とあるので、境界性パーソナリティ障害の方に対する治療で用いられるという点で、重なりが見えてきたような気がしてます…っていうかここでは弁証法的行動療法(DBT)で使われていることになってしますが、DBTなるものがあるのですね。ほー…。弁証法というとヘーゲルしか浮かばないですが…。

DBTとMBTの違いって何だろう、というかdialecticとmentalizationの違いって何だろう、とか思いましたが、まーコメント欄でそんなにアレすることも無いかと思ったのでこの辺で。

投稿: rhox2001 | 2008/03/25 09:23

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