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2007/10/31

ホームレス

 刑務所で働いていることは前に書いた。そしてそこでもっとも多い犯罪は窃盗であり、そうした犯罪に向かう人たちの育つ過程にしても現在の生活状況にしても、安定した関係が続かないことについても書いた。こうした人たちの入所前の生活や出所後の生活について聞いていると、もっといろいろと考えることが出てくる。

 下層社会において暮らしていた人たちから聞く話の中で一番多く出てくる仕事は建築関係の仕事だ。一般に土方と呼ばれるものであったり、日雇い労働者として語られることのあるような、あの種類の仕事だ。これが下層社会において一般的であるのはいろいろな理由があるだろうが(実際にそうであるかは分からない。その話を聞くことが多いということだ)、おそらく力仕事に従事するということと社会の下層にいることとの間には何らかの共通した要素があるのだろう。ここで働く人たちのある人たちはもちろんもっと上の生活を目指すが、ある人たちは好んで下層へと向かっていく。ゼロから生活を建て直すつもりで出所して、結局そこにたどり着いていくのだ。
 その多くに、欲求不満耐性の乏しさが関わっている。これを欲求不満耐性と呼んでいいのかはまだ分からないけれども、仕事がイヤになると仕事をさぼりやがてクビになり自らから仕事を辞める。そうしたパターンが数多く見られる。生活水準を上げることよりもその時の気分のままに行動できることを選び、それがあとにどのような結果をもたらすかについて考えることもあれば、いつも同じパターンでここにはまりこんでしまう人もいる。いずれにしても思考する力は弱い。

 安定した関係を持って育つということと、安定した心の状態を保てることには言うまでもなく相関があり、それは仕事への姿勢や態度にも関わってくる。安定とは不安定さを乗り越えられるところに存在し、それが失われているところに欲求不満耐性の低さが姿を現わす。気ままで気楽であるところにその長所があり、長続きせず、ルールを守れないところにその短所がある。耐えることを要求する決められた関係と決められた空間に所属することを求める高度に集積された社会において、耐えることの出来ない人々はやがて辺縁へと追いやられる。体を使った仕事への傾向がここにある。それは軽視されるものでもあり、それはおそらく社会において共有された態度だ。
 したがってもちろん賃金は安く、そもそもが構造化される社会に所属できない人たちであるために、生活の安定のための保証は整備されず、その分は賃金に還元される。もちろん見かけ上賃金はいくらかよく見えるけど、それはアルバイトをする学生の収入が多いように見えるのと同じもので、社会人になることで支払う必要のなくなる見えない収入がそこにはない。

 思考する力を欠いていることは、感情のままに動かされる可能性を増大させる。ここに暴力団がつけ入る隙が出来る。恐怖は容易に人を支配するし、人間は社会的生物として序列に従いやすく、甘い言葉と厳しい掟は下層社会の人々を取り込んでいくからだ。

 安定を欠いた生活や関係を持つ人々が集まるこうした下層社会において、さらにそこからこぼれ落ちていく人たちが辿り着くところがある。仕事のあることは最低限の生活水準が維持されていることを意味するために、多くの場合下層社会の人々もそこにはとどまりたいと願う。それでもそれさえ困難な人たちがおり、それが困難な状況がある。そうして辿り着くのがホームレスの生活だ。
 ホームレスの生活は私たちのすぐ側にある。公園に、駅の構内に、自転車を止めて燃えないゴミをあさる人たちに、そうした生活は見え隠れする。私たちはその多くに関わることなく毎日を過ごしているけれども、ホームレスの生活は同じ空間の中に確かに存在している。そこに入るのもそこから出るのも、下層社会にある人々からみれば案外たやすい。私たちが思い描いている以上にその垣根は低く、日雇いの仕事が続けば、特に寝泊まりする場所が提供されそこから出てることはたやすく、その仕事がなくなればホームレスへと転落する。仕事をしている間にプリペイドの携帯を手に入れられれば、次の仕事が見つけやすく、何かの拍子でそれを失うこともまれではない。
 ホームレスをしていても何とか生活をしていくことは出来る。ホームレスの社会復帰を支援する団体はあるし、冬を超えることが出来ればまた1年を生き延びることが出来る。公園で横になりながらどこかの誰かに襲われること、今日一日の稼ぎを誰かに奪われることに怯えることはあっても、そこから逃げ延びることが出来れば生き延びることが出来る。なにより、そうしてホームレスの生活があるということは、仕事を失うかもしれない可能性に対して慰めとして機能する。

 私たちは、つまり中流階級以上に所属する者は、生活の水準が下がること、あるいは他者から見た自分が不当におとしめられることを嫌悪する。それが私たちの倫理観や道徳性を支えている可能性は必ずしも否定できない。犯罪を繰り返す人々が犯罪を繰り返すのは、そうした歯止めになるものがないからなのではないかと思う。安定した関係はそれ自体が安定した関係への志向をもたらし、安定した生活はそれ自体が安定した以上の生活への志向をもたらし、それは倫理的抑制力としても作用する。不安定な関係や不安定な生活は感情的な不安定さを触媒としながら不安定さをもたらし、知的能力の低下をもたらす。倫理の代わりに制裁が抑止力として働き、そこでは必ずしも暴力は悪ではない。窃盗は生きるための手段として容認され、あるいは集団内の問題でない限りは無視される。日本にある暴力団を完全に崩壊させたとすれば、おそらく建築業界にも構造的な崩壊が訪れる。多くの失業者が生まれ、制裁によって規制されていた人々が社会にある一定の無秩序さをもたらすだろう。

 安定は安定をもたらし、不安定さは不安定さをもたらす。金持ちは金持ちに。

 ホームレスはそこにおいて救いであり、同時にワナでもある。その救いに逃げ込むことは下層からの下降を意味している。

 学校において生じる問題に家庭の問題が影を落としていることが指摘されてきているように、社会において生じる犯罪にも家庭の問題が影を落としている。生きてきた過程とその家庭において安全と安定が保証されていることは私たちの社会においては重要な課題であり、そしておそらく到達されることのない課題である。下層社会の水準が上がることは上流階級の水準が落ちることを意味するからだ。金持ちは金持ちに。
 そうしてホームレスの受容と供給はこれからも成り立つのだろう。

 正直に言えば、ホームレスという生活がそれ程1つの社会として機能していることに私はショックであった。私にとっての常識はこの仕事を通じてずいぶん揺さぶられている。
 けれどもとにかくそれはそこに存在し、今この瞬間にも人々の生活は続いている。私の仕事はそれに絶望も希望も抱くことなく、日々の営みを繰り返すことだと思っている。

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