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2007/06/16

もっと光を

 刑務所でのカウンセリングを始めてから2ヶ月が経つ。刑務所のカウンセリングには一般の精神科や相談機関で行うのとは違う困難がある。それについてはまた書こうと思うが、それ以上に異なるのは、カウンセリングに訪れる人々の所属する社会経済的階層だ。

 一般的な(例え臨床領域で働いていたとしても受刑者に関わっていない人々はやはりこちらに入るだろうと思うけど)受刑者のイメージがどんなものであるかは、つい数カ月前までに私自身がどのようなイメージを持っていたかを考えればよく分かる。極端に反社会的な人物であったり、破壊的・攻撃的な人物であったり、あるいは暴力団関係者であったり、中には一般人に思えるような人もいるかもしれないとか、そういったイメージが強いだろうと思う。犯罪者を語る言葉は犯罪を思わせる何かであるだろう。
 けれども、実際に受刑者に会っていくうちに、彼らをよく記述する言葉はもっと別のものだと思うようになってきた。それは例えば「下層階級の人々」というようなものだ。

 これもまた一般的なイメージと一致しているかは分からないが、犯罪の中でもっとも多いのは窃盗犯である。いわゆる盗みであり、これには万引きから車上荒し、さらには自動車盗難なども含まれるが(といっても勝手に自動車を乗り回すという意味で何かの映画のような窃盗ではない)、例えば、警視庁が最近出した平成18年度の犯罪情勢のp.2には以下のように記されている。

刑法犯認知件数全体に占める割合を包括罪種別に見ると、凶悪犯は0.5%、粗暴犯は3.7%、窃盗犯は74.8%、知能犯は4.1%、風俗犯は0.6%、その他の刑法犯は16.3%となっている。
警察によって発生したと認知された犯罪のうち7割以上が窃盗であり、検挙された人数もそれを反映して約半数に達している。

 彼らが盗みを働くことについて、道徳観の発達や倫理観、共感性、想像力、現実検討能力、欲求不満耐性といった観点から論じることは可能かもしれない。けれども、実際のところ彼らには現実的に手に入るお金がない。それが犯罪を正当化する理由とはならないとしても、それが犯罪に向かわせるもっとも大きな現実的、そして直接的な原因なのだ。そして、そこには仕事を継続するだけの衝動コントロールの乏しさ、それと平行する社会的スキルの乏しさ、彼らを取り囲む人間関係の劣悪さ(賃金を払わない、だましや裏切り)、もともとの家族の生活力の乏しさ、家族としてのまとまりの乏しさ、そういった生活全般にわたる様々な欠如がこれまでもそして犯罪当時も存在している。
 彼らはある意味ではなるべくして犯罪者になったのであり、別の言い方をすれば確率論的に犯罪者になったのだろうと思う。おそらく社会の下層で生きるということはそういうことなのだ。私たちが中学を出て、高校に進み、あるいは大学に進み、場合によっては大学院に進学し、就職をして仕事を続けている間に、彼らは日々仕事を失い、金銭を失い、人間関係を失い、その連続性を体験していくことができないでいる。そもそも家族としての連続性もあやしく、経済的にも、愛情という意味でも家族は1つのまとまりとして機能していなかった。彼らのうちのある人が犯罪者となり、ある人は幸運にも次の何かを手に入れて犯罪には手を出さない。それは何か個人の属性に帰属させる要因の問題ではなく、ほとんど偶然の産物だろうと思うのだ。

 もちろんここに書いている下層階級の話は何かしらの実証的なデータに基づいた話ではない。どこかにこれを支持する、あるいは支持しないデータがあるのかもしれないが、まだそこまで調べられてはいない。しかし犯罪者から描かれる生活の状況は、私たちが普段接する生活の状況とは本当に別の階層であることを強く意識させるものなのだ。

 愛着研究の領域には特に外国の文献ではmiddle classという言葉がよく出てくる。AAIはカリフォルニアのUC Berkleyというノーベル賞受賞者を多数輩出しているアメリカの名門大学の周辺に住む、あるいはそこに通うmiddle classのサンプルをもとに作られている。愛着研究の多くもmiddle classを対象としている。
 そしてある研究はハイ・リスクサンプルとして社会経済的地位の低い人々、10代で妊娠をした女性、人種的にマイノリティである人々を対象として研究を行っている。それは本当に、そうして分けられる必要があるほどに、そしてそれをサンプルの特徴として記述する必要があるほどに大きな違いなのだ。
 刑務所での経験は、これまで文献を読む中でしか触れることのなかった社会経済的階層を現実に存在する階層として、その断絶として感じさせる。愛着に限ってみても、中流階級における愛着の不安定さは心的水準において扱うことができるけれども、下層階級におけるそれは生活全般の貧困さの1部分でしかなく、そうなるともう心的水準の問題ではない。
 失われたものを悲しみ、奪われたことに怒り、愛することを喜ぶ。そうした情緒的営みは存在の連続性の上にしか成り立たない。その破綻が破滅の不安をもたらさないとしても、情緒と思考と行動とを未分化な中に取り残す。あるいはそれを私たちの基準から見て「未分化な」と形容することも適切ではないのかもしれない。
 いずれにしても社会には下層があり、そこでは私たちとは別の生活が営まれている。それは例えば地上での生活と地中での生活みたいに異なるものであり、臨床心理学的介入はそれぞれの「文化」を踏まえていく必要があるのかもしれない。それを文化と呼べるのかも私は知らない。

 彼らの歴史を思い、暮らしを思い、その連続性の断絶を目の当たりにする。愛着の来歴を、階層の境界をじっと見つめる。

 世界は深い。昼が思っているよりも。

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コメント

こんにちは。

今年の4月に僕も刑務所での仕事の募集があって、応募したけど、残念ながら僕の場合には落ちてしまったので、刑務所内ので臨床は経験がありません。

で、経験がない中でイメージしていたのは、破壊的・攻撃的・反社会的なパーソナリティの人が多いのかなと思っていました。下層階級というのはあまりイメージにはなかったです。

刑務所とはまた違いますけど、有料(高額)・有料(低額)・無料のいずれでも臨床の経験がありますが、あきらかにその3つで来談される方の質が違うように思います。

教育センターなどの無料では、刑務所内で会う人ほどではないにしろ、下層階級の方が多かったように思います。

階層というところから考える視点がこの記事からまた得られたように思えました。

投稿: セーイチ | 2007/06/16 07:26

>セーイチさん
 こんにちは。そうですかセーイチさんも応募されたのですか。今年の4月は、いろいろなところで募集があったのでしょうかね。

 ここであげた生活層による文化だけでなく、生活層に限らない家族の文化というものの影響も個人の心の動きの背後に見え隠れして、最近それをどう理解と介入に取り入れるかに思いを馳せているところです。まだうまく言えませんが、何の前提もなしに個人の対象関係を描くのと、こうした文化を思い描きながら描くのとでは、その世界への参加の仕方が変わってくるように思うのです。
 そう言ってしまえば当たり前のことですが、対象関係の向こうに育った文化を思い描くということをこれまでどれだけ重視してきただろうと思いまして。

投稿: nocte | 2007/06/18 23:27

はじめまして。恐らく、私はnocteさんと同じ大学院を出た者です。毎回とても興味深い記事が多く、時々覗かせていただいています。いつもありがとうございます。
同郷の方を発見して嬉しかったもので、ご挨拶だけ。

投稿: サラダ | 2007/06/19 13:26

>サラダさん

 そうですか、ってどなたかは存じませんが、これはこれは。今後ともどうぞよろしくお願いします。

投稿: nocte | 2007/06/19 21:35

こんばんは。
当方のブログの関連記事で、こちらの記事にリンクを貼らせていただきましたので、よろしくお願いします。

私は、公立中学校でスクールカウンセラーをする他に、少年補導関連の仕事を少しさせていただいていて、さまざまな社会-経済-文化的背景を持った家族のエピソードに出会います。
(私自身も、どちらかというと経済的に恵まれない家庭の出身だったので、これらの人々のざっくばらんな暮らしぶりには親しみがあります。)

nocteさんがおっしゃる、「連続性」の問題、少年補導の領域でも強く感じます。回転が早いというか、生命力が強いというか。目の前でキラめいたものに、一瞬触れてはまたどこかへ飛んでいってしまうような、そんな生き方なのかとは思うのですが。

彼らの文化圏と、中流・上流と言われる階層の文化圏との折り合いのつけ方が問題なのかもしれません。特に小中学校時代に。

投稿: つなで | 2007/07/11 21:57

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