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2007/05/23

議論をする集団

 まずはご報告。日本語が使えるようになりました。

 さて、あらかじめ渡されていたスコアリングの仕方を前提に、いよいよ各自スコアリングをしてくる作業が始まった。スコア同士は互いに必ずしも無関係ではなく、つまり独立ではなく、1つの叙述にどのようなスコアが割り振られるかはその叙述のなされている文脈も考慮される必要がある。そのようなわけでなぜこれがここでこのスコアになるのか、ということについて、意見が交わされることになる。

 その中身そのものについてはここで逐一触れてはいくわけにもいかないが、大きなテーブルを囲んで10人+トレーナーで議論が行われることになり、それぞれに自分の思うところで発言をしていくことになる。
 それはすでに自己紹介の時から始まっていた。自己紹介はどこから来て、どのような関心があって研修を受けることになったかという比較的素朴なものであったのだが、気がつけばみんな勝手に口を挟み、質問や意見があればそれを口にしていた。自己紹介をしている側も聞かれたことに応えるだけではなく自分の関心や行っている研究の話はするし、それを受けて話は広がるし、自己紹介だけでかなりの会話が為されたことになるだろう。
 そうなのか、研究の場というか学問の場というのはこうやって進んでいくのか、と改めて思わされた。黙って聞いていても交流は生まれないし、たくさんの質問が出た方が知りあえることは多いのだ。

 実際にスコアリングが始まると、なぜそうスコアしたのか、なぜそうスコアしないのかについて研修生もトレーナーも自分の意見がある時に話し始めていた。もちろんトレーナーは全体の進行も司っているので、ある程度の意見が出たところでいろいろな疑問に答える形で発言をするが、それでも発言が次々に出てくる様は日本の研修会や、大学院の場ではほとんど見られないものだと思った。自分で授業をしていてもあるいは逆に研修会に参加していても思うのだが、日本では聞く側の人は自分の存在を集団の中に隠そうとしているように思える。もちろんそれはそう思えるというだけなのだが、その他大勢に紛れることで安心しているところがあるように思えるのだ。それは例えば、自分にみんなの目が向くとか、発言をするとかいうときに感じる不安が物語っているように思う。
 日本においても、例えばロールシャッハテストのスコアリングについて話している時などにはこうした議論は起こりやすいかもしれない。スコアがあって、そのスコアがなされる基準があって、けれどもそれは反応に対して機械的に決められるものではないわけで、考える必要があるし迷いも出てくる。その分人によって違いが出てくるので、自然と発言の機会が増えてくるのだ。それでも意見が活発に出ることは少ないし、その発言の仕方には自信がなさそうだ。大学院やゼミでもこんなふうに発言が出れば学べるところも多いだろうに、などということを思いながら議論を聞いていた。

 そうした場面を眺めながら、以前に病院で集団療法を行っていた時のことを思い出してもいたが、日本に輸入される集団の理論というものは、こうした文化を背景に集団が沈黙することの意味、あるいはそれが自発的に動いていくことの意味が語られているのだろうと思ったりもした。自発的な発言の度合いが日本とは全然違っているし、グループとしての高まり方が違うのだ。臨床の場とこうした議論の場を簡単に一緒にすることはできないが、それでも日本の学問の場との違いを文化差だとすれば、それは凝集性も高まるだろうことは想像に難くない。
 集団が集団として動くには個人の動きが活性化されなければいけないということなのだろう。

 しかしだんだんと議論が活発になってきて、時間が足りなくなってくると、どうしてもしゃべるスピードが速くなっていって、最後の法は話を聞き取れなくなったりもした。このような場で遠慮をしてもかえって良くないだろうと思って質問がある時にはしゃべるようにしていたし、ありがたいことにそのような時はみんな私の発言を待ってくれていたが、そうして議論が重なると話についていくだけで大変になる。幸い、マニュアルがあるので、会が終わってからもう一度マニュアルに目を通すことができるのだが、英語力の決定的な差だけはどうにもならないなと思う。もっと話せるようになるともっと面白いだろうに、と思ったりもした。

 こうして海外に出てみると、たんに理論や技術を学ぶということだけではなしに、日本が輸入しているそれらの背景を含めて学ぶことができる。そんなことが今さらながらに実感された出来事だった。まだ研修会は始まったばかりで、こんなところで立ち止まってもいられないのだけれども。

 AAIに関心がある人のために書いておくと、今日までにやったのは幼少期の体験の部分であり、明日から心の状態のスコアに入っていきます。

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