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2007/05/08

現実

「逆説的ではあるが、患者の自我が空想か現実かを識別できることを確実にする最善の方策は、可能な限り患者に現実を差し出さないことにある。」
(J. Strachey "The nature of theraputic action of psycho-analysis")

 私たちが無意識や空想を取り上げるのは、それがクライエントの目からは現実に思えるからだ。自分の心の中で起きていることを心の中で起きていることと認識できるようになるのは、「これが現実ですよ」、とそのギャップを知らされることによってではない。むしろ無意識や空想を取り上げ続けることを通して、そこにそれまで思っていたこととは違う現実があることが気付かれることによってだ。
 突きつけられる現実は、押し付けられた知覚や認識でしかない。優しい説得は、本人がそれと分かる前に、本人の認識が誤りであるとフタをする。必要とされているのは待つことであり、待ちながら、物事を捉え、認識する背景にある特徴やパターンを把握し続けることだ。
 私たちはこの背後に潜むそれを無意識や空想と呼ぶ。それは現実と混ざり合い、現実を色付けする。だから両者が分け隔てられていく作業は遅々としてしか進まない。
 心理療法のある側面が、時間を提供することにある、というのはそういうことだ。

 現実は気付かれるのをずっと待っている。ウィニコットが言うように、それはそもそもの始めからそこにあるものであり、同時にクライエントによって発見されるものである。誰がそれを作り出したのかと問うことはできない。そして気付かれるより早く気付かせることもできない。

 それでも現実は混じり気のない現実として知覚されることはなく、どれだけ先に進んでも無意識や空想から逃れることはできない。もしかしたら意識的な歪曲からだって逃れることはできないのかもしれない。
 誰かが言うように、心理療法の効果とは、それまで耐えられなかったものに耐えられるようになるくらいのことなのであって、それまで現実とは思えなかったことを現実かもしれないと検討できるようになるくらいのことなのかもしれない。それが質的な差であるのか量的な差であるのかの答えを私は持たない。
 それもまたクライエントに見いだされるべきものなのだろう。

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