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2007/04/06

事例研究は誰のもの

 前回のエントリで論文の小見出しについて書いたが、それは自分が今論文をまとめているからで、その中身についてはともかく、1年間臨床の場を離れた目で改めて面接の記録を見ていると、ああこんな面接をしていたんだなととても新鮮な気持ちになる。臨床的な感覚や面接室での感覚はこんなだったなと、そんなことも忘れた状態でケースカンファなどで発言をしていた自分がひどくイヤになったりもする。

 新しい年度が始まったが、今年は幸せなことに臨床先を持つことができ、しかもそれは担当した分に合わせて給料が支払われる形なので、緊張感と充実感と、いくらかの失望とを経験することができそうだ。その経験は私をいくらかでも成長させてくれるのではないかと期待している。

 ところで、こうして論文を書いていると、この論文は誰のものなのだろうと考えたりする。論文というよりも、執筆の許可というものは誰からもらうものなのだろう、ということを考えたりする。
 もちろんここではクライエントの了解は得ているということを前提に話をしている。中にはクライエントの許可をもらうこと自体が心理療法過程に影響を及ぼすので、むしろもらわない方がいい、という人もいるが、それはそれで1つの考え方であるし、1つの考察対象になるものではあるとしても、現代的にはなかなか難しいことになるだろう。クライエントの許可は差し当たり必要だといってよいと思う。

 私が論文を書く時に気にするのは、例えば私のように以前働いていた機関で担当していた事例の場合、そこには主治医もいて、ある意味では私のところではなくその病院に来ている患者さんでもあった。こうした場合に主治医の許可を得るべきなのか、病院の許可を得るべきなのかということを考えたりするのだ。ある病院では一度そこをやめた人には、その病院で担当していた事例について論文を書くことは認めなかったりもする、という話を聞いたこともある。
 心理療法という観点からすれば、それは2人の間の取り決めのもとに行われるものであるし、それを前提に以降の展開が続くのであり、したがって論文を書くということに関してはクライエントの許可を得たとすれば後は私たちがきちんとそれに取り組むだけだということになるだろう。しかし社会的にはその行為は所属機関において行われてもいるわけで、論文を書くということについての決定を2人だけのものとするわけにはいかないのではないだろうか、と考えたりするのだ。
 例えば、これが学校臨床の場合であったら、ということを考えてみれば、そう簡単に論文にすることはできないということは想像に難くないわけだ(違っているでしょうか)。

 そのように考えて結局私がいつもとる方法は、主治医にも、病院であればその病院長にも許可を取るということではあるのだが、それでもはたしてこうした手続きが必要なのだろうかとももう一方では思ったりする。一般的に言えば主治医や病院と葛藤的になることはまずないだろうが、そしてできればその程度の関係くらいは作っておきたいものだが、それでも場合によってはすべてを囲い込もうとする機関もあるとは聞くので、そのような場合に私たちは論文を書けるのだろうか、と考えてみたりしている。

 他の方はどうしているのだろう。

 事例研究を書く権利は、それが社会に貢献し、クライエントの許可が得られ、できれば何らかの形でクライエント自身にも還元されるということをクリアした後に、誰のものとして残っているのだろう。
 権利という表現も微妙ではあるけれど…。

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