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2007/02/22

大学院で学ぶ

 大学院の間に学ぶことは多い。私のいた大学院が心理臨床を学ぶ上での標準的な形であるかどうかは分からないけれども、少なくとも大学院の中からだけでもずいぶん多くのことを学んだ。臨床的態度、技法、理論、研究の仕方や進め方、人との付き合い方、病院などの中での動き方、などのことだ。しかしこれは、私のいた大学院に博士後期課程があったから可能だったことなのだと今更思う。

 今勤めている大学院にも博士後期課程はある。しかしながらほとんどの院生は修士課程で修了した後は、就職のために大学院を出て行く。そのため、大学院で臨床を学ぶ期間は2年間しかない。このことが意味することは、彼らが修士課程の2年間で学んだ経験の蓄積がなされていかないということだ。
 もちろん1人1人の臨床的経験は大学院を出た後でも続いていくだろう。その蓄積は間違いなくなされていくし、もしもそれがなされないのであれば、その時には臨床から離れたほうがよいだろうと思う。

 それでも彼らや彼女たちが修士課程を終えて大学院を離れてしまうと、そうして蓄積される彼や彼女なりの経験が後輩たちに受け継がれることがない。これは大きな損失で、大学院に設置されている相談室のたぐいで受け持っている事例について、それをどう理解し、どう関わるかは、いちいち教員の側が手取り足取り指導するようなものではなく、院生同士で学び合うものだと思うのだ。教員との関係はどうしても指導的なものになるし、相談者への否定的な感情、あるいは自分についてのさまざまな思いのうちのあるものはそうした指導関係の中では十分に表現されないだろう。そうでないとしても、教員という存在はいつでも院生の隣にいて利用可能なものではない。委員会があったり、出張が入ったり、研究をする必要があったり、自分の臨床があったり、さまざまな理由で院生と関わる時間は少なくなる。
 そもそも、大学院において学ぶということは自主的に学ぶのであって、何から何まで教員に面倒を見てもらうようなことではないのであって、そのような状況で自分の視点から離れて、あるいは自分の行き詰まりを超えていくために必要な助けというものは、結局のところ同じ大学院生の中から出てくることになる。それは時に同学年や後輩であることもあるだろうけれども、多くの場合は先輩から得られるものだろう。同じ道を通ってきたものとして、普段の様子を含めて自分のことを知っているものとして、自分よりも一歩先を行くものとして、先輩からの助言は大いに役立つものだと思うのだ。それがあくまで一般論ではあるとしてもだ。

 しかし、大学院生の在籍期間が修士課程の2年間しかないということは、たとえM2がM1に何かを教えるとしても、その経験は1年弱のものでしかないということになる。個人的な感覚だけで言えば、臨床における最初の1年に学ぶことなどほとんどその人が持っているセンスでも何とかなるくらいの違いしか生みださないとも思えるわけで、その程度の差でM2がM1に何かを教えることはとても困難だ。場合によってはさまざまな事情でケースを持っていないM2だっているだろう。そのような環境にあってM1が何かを学ぶ相手としてM2を見ることも難しいだろうし、相談にのったりアドバイスをしたりするM2にしたって自分たちのことで精一杯な状態であるのは仕方のないことだ。大学院生の中で学び、また経験が伝達されていくという機能が、この場合ほとんど役に立たなくなっているのだ。

 人を理解し、関わるということは、それが無意識の水準であれ、認知的にであれ、行動上のことであれ、自分一人の2年の経験でどうにかなるものではない。そうして先輩から学ぶことができないまま修士課程を終えた院生たちがそのまま就職していくことを考えると、働き始めた職場での、あるいはそれを迎える側の苦労というのはちょっとしたものだろうと思う。

 教員になって最初の1年が過ぎようとしている今、そうした博士後期課程に院生が残ることのない大学院の抱える脆弱さに改めて物足りなさを覚えている。私はあまり熱心に臨床の教育について、あるいは資格について語る者ではないつもりでいるのだが、しかしこうした状況を見ていると、果たしてこのままでいいのだろうかと考え込んでしまう。まして、来年度から出てくるいくつかの専門職大学院についてはなおさらだ。彼らや彼女たちの書く事例研究にいったいどれほどの意味があるというのだろう、と思わずにはいれないのだ。

 2年間という時間をどのように使っていくのか、それは院生だけの課題ではなく、これを迎え送り出す教員の側の課題でもあるように思う。

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コメント

失礼します。
たしかに、欧米の実質6年前後(修士+博士)に及ぶ養成に比べると差は歴然ですね…。しかし、この国はこの国の資源をどうやって最大限に活用するかということを考えるならば、学会や職能団体、各地の研究会やNPOなどが、養成課程の足りない部分を補って活動していくことが、とても必要なように感じます。修士修了で働いている人たちが、自分の出身大学でなくても、就職した地域の大学院生と共に学び研究する機会とか、そういうことが必要なのではないでしょうか。博士後期課程のない大学院は、博士後期課程のある近隣の大学院と共同研究ができるとか、そういう交流の輪を広げることができれば、この国の臨床心理学もいっそう発展できるのではと感じます。

投稿: つなで | 2007/02/24 00:32

>つなでさん

 お返事が遅くなりました。すみません。

 確かに、その地域の中で、あるいは全国規模での各団体の活動に期待したいところですね。ただ、やはり日々の生活の中に臨床の感覚が溶け込んでいる、ごく身近な関係の中でのあの雰囲気は、他のものでは得られないものだと思うのです。
 送り出す身としては、修了していく学生たちが、早く彼らや彼女たちなりのつながりを持って、育っていくことを願うばかりです。

投稿: nocte | 2007/03/01 01:45

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ぶっちゃけて聞いちゃいます。博士課程の学生がいない大学院ってどうなんでしょうか?... [続きを読む]

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