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2006/11/29

精神分析学会報告

 名古屋の国際会議場は比較的都心からのアクセスがよく、会場の中も過ごしやすかった。それでもそれほど広くない部屋でのセッションでは人の多さに辟易し、空調がもたらす以上の暖められた空気に集中力をそがれることもあった。なんとか無事に学会が終わり、それを少し振り返ってみる。

 今回のテーマは「抵抗」であり、ここは様々な学派の対応の別れるところでもあり、対象関係論やクライン派にとっては陰性治療反応および自己愛的病理構造体概念が生まれるところでもある。しかし、発表はそれだけではなく、相変わらず様々な概念、病態にわたって行われており、特に印象深かったのはプレコングレスのあるセッションであった、拡充技法の話。象徴化に困難のある、あるいはそれが機能しない子どもたちへの心理療法において治療者からの働きかけを解釈ではなく、促進とし、プレイがプレイフルであることが強調されていた。クライン派の中でも中間学派に近い先生らしいが、クライン派からもそうした考えが出てくるところが興味深かった。進行自体は未消化なものがあったけれども。

 病理構造体についても考える機会があった。そこで思ったことは、自分の経験も踏まえて、個人の病的部分をそれとして捉えたり、病理構造体として捉えることは、その個人への共感を鈍らせやすいのではないかということ。自己の内部に自己破壊的で衝動的な病理が潜んでいて、それが治療の進展を蝕んでいるという理解は、確かに困難な治療過程を理解可能なものにしてくれるし、個人の中にあるか腐れた攻撃性の持つ重要性を強調するものだとは思う。しかしそれだけに、個人がまたそうした自己部分に脅え、おそれ、不安や痛みや悲しみを感じているという側面を見失いがちになってしまいやすいように思う。自己の破壊的な側面が、治療者の倒錯的な関心を惹きつけやすく、それは病的な部分に脅かされている自己の健康な側面への関心をそれだけ逸らしてしまうように思うのだ。
 それは概念自体の魅力なのかも知れないし、そうした心の部分が治療関係の中で活動する時の力のせいなのかも知れないし、私の未熟さのせいなのかも知れないけれども、そうして忘れられやすい側面が出てくるということに気をつけなければならないのだろう、ということを考えたりしていた。

 世間では新しいフロイト全集が出版を迎えたが、学会としても考えていることはないでもないらしく、新しい日本語訳に向けての話しがあるとかないとか、ストレイチィーのStandard Editionが新しく翻訳される作業が英語圏で行われるのを待っているという話しがあるとかないとか、いずれにしてもドイツ文学者、ドイツ哲学者といえばこの人という高橋義人のような存在がないことが、今の時代の矮小化を象徴しているとかいないとか、そんなことを聞いたような気がします。気がするだけかも知れませんが。

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日本精神分析学会第52会大会 会場:名古屋国際会議場 日時:2006年11月23日〜25日 テーマ:治療抵抗 http://www.seishinbunseki.jp/participation02.html に参加した感想について。 [続きを読む]

受信: 2006/11/29 22:27

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